こんにちは共月堂です。
 今日から三月です。まだ肌寒いですが、これから一雨ごとに寒さも緩み、少しずつ冬との別れを体感出来るでしょう。
 さて、今日は前回書いた素問の春を、もう少し深く掘り下げてみようと思います。ちょっと専門的過ぎるかも知れませんが、鍼灸師東洋医学の関係というのを知っていただくのも良いのかな?と思い、書いてみますね。
 素問の金匱真言論篇第四と言うものを見ると、春と体調に関して書いてあります。

黃帝問曰:天有八風,經有五風,何謂?

岐伯對曰:八風發邪,以為經風,觸五藏,邪氣發病。
所謂得四時之勝者,春勝長夏,長夏勝冬,冬勝夏,夏勝秋,秋勝春。
所謂四時之勝也,東風生於春,病在肝,俞在頸項;
南風生於夏,病在心,俞在胸脇;
西風生於秋,病在肺,俞在肩背;
北風生於冬,病在腎,俞在腰股;
中央為土,病在脾,俞在脊。
故春氣者病在頭,夏氣者病在藏,秋氣者病在肩背,冬氣者病在四支。
故春善病鼽衄,仲夏善病胸脇,長夏善病洞泄寒中,秋善病風瘧,冬善病痺厥。
故冬不按蹻,春不鼽衄;
春不病頸項,仲夏不病胸脇;
長夏不病洞泄寒中,秋不病風瘧;
冬不病痺厥,飱泄而汗出也。
夫精者,身之本也。故藏於精者,春不病溫。夏暑汗不出者,秋成風瘧。此平人脈法也。

故曰陰中有陰,陽中有陽。
平旦至日中,天之陽,陽中之陽也;
日中至黃昏,天之陽,陽中之陰也;
合夜至雞鳴,天之陰,陰中之陰也;
雞鳴至平旦,天之陰,陰中之陽也。
故人亦應之。

夫言人之陰陽,則外為陽,內為陰。
言人身之陰陽,則背為陽,腹為陰。
言人身之藏府中陰陽。則藏者為陰,府者為陽。肝心脾肺腎五藏皆為陰,膽胃大腸小腸膀胱三焦六府皆為陽。
所以欲知陰中之陰、陽中之陽者何也?
為冬病在陰,夏病在陽;春病在陰,秋病在陽。皆視其所在,為施鍼石也。
故背為陽,陽中之陽,心也;
背為陽,陽中之陰,肺也;
腹為陰,陰中之陰,腎也;
腹為陰,陰中之陽,肝也;
腹為陰,陰中之至陰,脾也。
此皆陰陽、表裏、內外、雌雄相輸應也,故以應天之陰陽也。

帝曰:五藏應四時,各有收受乎?

岐伯曰:有。東方青色,入通於肝,開竅於目,藏精於肝,其病發驚駭,其味酸,其類草木,其畜雞,其穀麥,其應四時,上為歲星,是以春氣在頭也,其音角,其數八,是以知病之在筋也,其臭臊。
南方赤色,入通於心,開竅於耳,藏精於心,故病在五藏,其味苦,其類火,其畜羊,其穀黍,其應四時,上為熒惑星,是以知病之在脈也,其音徵,其數七,其臭焦。
中央黃色,入通於脾,開竅於口,藏精於脾,故病在舌本,其味甘,其類土,其畜牛,其穀稷,其應四時,上為鎮星,是以知病之在肉也,其音宮,其數五,其臭香。
西方白色,入通於肺,開竅於鼻,藏精於肺,故病在背,其味辛,其類金,其畜馬,其穀稻,其應四時,上為太白星,是以知病之在皮毛也,其音商,其數九,其臭腥。
北方鄢色,入通於腎,開竅於二陰,藏精於腎,故病在谿,其味鹹,其類水,其畜彘,其穀豆,其應四時,上為辰星,是以知病之在骨也,其音羽,其數六,其臭腐。
故善為脈者,謹察五藏六府,一逆一從,陰陽表裏,雌雄之紀,藏之心意,合心於精,非其人勿教,非其真勿授,是謂得道。

 少々長いのですが、色々と興味深いものが有るので全て引用してみました。
 黄帝内経の存在は、それまで病気=何か霊的な悪いものという考え方を元にしていた生命観を、季節、つまり気温や湿度といった外的要因と臓腑という内的要因に分解して説明するという、さらに一歩進んだ考察を行っているという意味でも、人と医療という関係を考える上で重要な書物であると言われています。
 実際に、素問の移精變氣論十三の冒頭は「余聞古之治病,惟其移精變氣,可祝由而已。今世治病,毒藥治其內,鍼石治其外,或愈或不愈,何也」という問いかけで始まっています。簡単に訳すと「昔の病気は、加持祈祷で治療して治ったと言うが、今では薬や鍼、外科的な処置をしても治らないものが有る、コレはどういう事だ」と。
 素問と言う生命観は、病気と言うものを細分化して、その原因と機序を求めると言う事を行っている訳ですが、その素問での春という季節と病気の関連性が、上の引用となるわけです。簡単に見てみましょう。

東風生於春,病在肝,俞在頸項

 春は東風が吹き、この風が肝臓を傷つける。その治療には頸や頭の経穴を使うといい、と言っています。ここでの風というのは、病を運んで来る風のことです。風が運んで来る邪なもの、コレを総じて風邪(ふうじゃ)と呼びますが、春にやってくる邪な風は東から来る風であると言う事ですね。
 中国は季節風が激しく吹く気候だそうです。冬は北の大陸から乾いて冷たい風が吹き、夏には南の海から湿った暖かい風が吹くそうで、この風の移ろいが、季節の特徴だったのでしょう。ですから、風向きが変わる事は季節が変わる事であり、それは気温や湿度が変化する事でもあったようで、素問に於ける風という言葉は、日本で言う風と、少し意味が変わっています。空気の流れという以上に、気温や湿度の変化を意味していると考えると、風の邪と言うものが病気を運んで来るという発想も頷けますね。
 春と言う季節は、東から暖かい風が吹き始め、湿度も上がって来る。そう言う時に病になりがちなのは肝臓であると言っています。
 ここでの肝臓というのは、有る意味、観念の臓器です。いわゆる西洋医学で言う肝臓は、代謝主体となる人体最大の臓器ですが、東洋医学では少し違います。素問が編纂された頃には顕微鏡等有りませんでしたから、臓器の存在は知っていても、そこで何が行われていたのか正確に知る事は出来ませんでした。それなので、推測で「この臓器は、こんな事をしているのだろう」と考えていました。つまり、臓器に生命活動と病気を関連づけて推測している訳で、それは実際の臓器というよりも、観念の臓器と言う方が的確ではないかと思っております。
 その、観念の臓器としての肝臓は、傷つけられてしまうと結果、心の活動、それも激情と言った激しい感情を呼び起こしています臓器として知られています。観念の臓器としての肝臓は、疏泄と蔵血という機能を持っているとされ、疏泄とは簡単に言うと「体の隅々まで色々なものを行き渡らせる」という作用とされ、蔵血は字の通り、血液を蓄えるという作用のことです。つまり、これらの作用が、東から来る風、つまり急な温度と湿度の上昇によって妨げられてしまいがちであると言っている訳ですね。
 なにやら非常に長くなりましたね。
 これだけを見て行くと、どうも観念的過ぎて実際の生活と乖離しているのでは?と思われそうですが、実はそうでもありません。
 今日、三月一日と言う日は、実は自殺する人が非常に多い日としてデータが出ています。何かの節目や、大きな事件等が有ると自殺する人が増えるという傾向は有りますが、春の節目である三月一日は、毎年多くの自殺者が出てしまいます。一般的にクリスマス前後が多いと言われていますが、数字で出してみると今日の方が多いのです。
 この事を、上記の文章と直接繋げる事は、いささか乱暴である事は解っています。ですが、春先に情志の失調を危険視する素問の生命観と、日本と言う国で起こっている事の現実を並列で見てみると、そこに関連性を感じてしまいませんか?
 長く書き過ぎたようですので、今日はこれで。